今週のお題「行きたい国・行った国」
こんにちは。
chiyocoです。
約1ヶ月ぶりにブログを書く時間が作れました。
実は、先月末まで、主人の仕事の都合でアメリカに住んでいたのですが、
任期終了に伴い、私と子供たちだけ一足先に日本へ帰国しました。
時差ボケや引っ越しからの引っ越しの準備等で忙しく、
なかなかブログを書く時間が取れなかったのですが、
今週のお題が「行きたい国・行った国」だったので、
これは書きたい!と思い投稿した次第です。
もともと、私は海外旅行が好きというタイプではありません。
今までもハワイ、イタリア、韓国、台湾は行ったことあるのですが、
海外旅行よりも国内旅行の方が金銭的にも安いし、食べ物も美味しいし、安全だし、
と思っていて、海外に行くことの良さをあまり知らずに生きてきました。
(帰ってきた今でも、海外旅行よりも国内旅行最高と思っています。子連れなら特に)
でも、今回、単身赴任ではなく、帯同してアメリカに住むことに全く迷いはなく、
行かないという選択肢はありませんでした。
周りからは、仕事を休んでまで行って何するの?
危なくないの?
コロナで治安がよくなくなっているって聞いてるよ?
子供たちは大丈夫なの?
英語は話せるの?
と、正直、あまり良いことは言われなかったのですが笑
もうね、行ってよかった!!この一言です。
主人に本当に感謝です。連れていってくれてありがとうって。
書きたいことはたくさんあるのですが、
その中でも一番、よかったと思うことについて今日は書きたいなと。
それは、多人種、多文化に触れられたことです。
これって、ずっと習ってきたことだし、考えてきたことだけれど、
住んでみないとその空気感をリアルには感じられないということに気づきました。
本当に、色々な人をみました。良くも悪くも。
色々な人がいるってこういうことか、と身を以て感じました。
良い面だと、GIVEの精神がどこにでも溢れていて、
子供のママ友と話していると、情報とかも少しこれがわからないというと、
想像以上の情報量を返してくれたりします。
イベントや寄付活動のボランティアも盛んだし、
みんながそれを慈善事業としてやるというよりも、楽しんでやっています。
誰かに喜んでもらえることを心から楽しんでいる感じがします。
それに感化されてか、私も誰かに喜んでもらえることをすごく考えることになりました。
ただ、これ、サービスが全部いいかというとそうではないんです。
日本人の「おもてなし」の心とはまた違う感じ。
日本は平均してサービスについては良すぎると感じます。
小さいスーパー、コンビニからして接客のレベルがホテルレベルといってもいいぐらい、
かなり丁寧ですよね。
よく「お待たせしてすみません」とか「〜してすみません」って耳にするけど、
アメリカでは、全くそんなことを言われることはなくって、
むしろ英語でそれってどう訳すんだろうっていうぐらい、
そういうニュアンスのことを言われたことがない。
(普通に暮らしている中では。結構良さげのホテルとかでも滅多になかった。)
アメリカだと、店員さんはコーヒー飲んでたり、他の店員さんとおしゃべりしてたり、
なんなら、値段とかも適当。
これ100円って書いてあったよって言ったら特に確認もせず「あ、そうなの?」と言って、
値段の訂正をしてくれたり、子供がお菓子を離さずにいたら、
「いいよそれ、あげる」と言われたこともあります。
適当だからこそかもしれませんが、
子供とか連れてて大変そうにしてると、レジ担当じゃない人が横から来て、
「こっちでやってあげるわよ」と言って、普通のことのように優先してくれる。
それについてイライラしている人はいないし、
むしろ、どこに行っても子供に対してかなり許容範囲が広い気がします。
これってどうしてかなと思うと、
相手への期待度がすごい低いんじゃないかなって思ったんです。
「これぐらいやってくれるだろう」というのがほとんどない。
だから、例えば、Moving Saleとかでものを誰かにあげるとき、
「ありがとう」とは言われるけど、それ以上はなし。
これ、面白くて、日本人に不要なものを譲ってあげると、
だいたいお返しに何かくれるんです。
不用品だからもらってくれるだけで嬉しいんだけど、
もらう側は、「もらってしまって申し訳ない」という気持ちがでるんだろうなと思います。
だから、日本に帰ってきてから思うのは、
色々なサービスに対して「そんなこともっと適当にやりなよ」ということ。
前までは、ちょっと待たされる時間が長かったり、バスが時刻通りこないと
多少「なんで?」とイライラしていたんですが、
今はかなり心に余裕がでてくるようになりました。
だいたいのことに対して、「まあ、そんなこともあるよね」と思うし
何か嫌なことがあっても「そういう日もあるよね」と口癖のように言えるようになりました。
これって、私の中では大きな変化で。
結構、周りからも真面目で正義感が強いって言われることが多かったのですが、
私の真面目さや正論って、時にはすごい凶器になるなと思ってはいました。
小さいことでイライラしたり、「何この人!?」って思うことに対して、
もっと許容範囲が広い人になりたいなと思いつつ、
「これが正しい!」って思ってしまうと、それ以外は受け入れられなかったんです。
でも、それが本当になくなりました。
だって、もう書ききれないぐらい色々な人にあったから笑
しかも、私の場合、子連れで行ったから尚更、経験できることが多かったと思います。
子供との接する場面での、現地のママたちの対応って日本とは全く違います。
私、公園にいくことの何が嫌って、
子供同士が楽しく遊んでくれればいいのに、
ママが「これ貸してあげなさい」とか「ごめんなさい、うちの子が」
みたいなやりとりをするのが、本当に面倒だなって思ってたんです。
よくあるのが、子供の玩具なのに、
貸して欲しそうな子がいると、
「これ貸して良いよね?」と聞いてるんだか聞いてないんだか声をかけて、
子供が「うん」とも言っていないのに
ママが代わりに貸してあげるという場面をよく目にします。
しかも、そのあと子供が「使いたかったー」というと
「使ってなかったんだから、貸してあげなさい」みたいな笑
それって、どうなの?って私は毎回疑問に思ってました。
我が家では、「これ貸して」と言ってきた子供に対しては、
年齢的に大きい子には、私はわからないから娘に直接聞くように伝えます。
小さい子には、代わりに「〇〇ちゃんがこれ貸して欲しいんだって」と娘に聞いて、
「No」と言われたら、「貸したくないんだって」と伝えます。
必ずしも貸してもらえるわけではないということを
経験することも大事かなとも思っています。
これって、性教育とかにもつながっていて、子供にはちゃんと「No」と言えて、
あなたの「No」には強い力があるということを教えてあげるのが大事と
本で読んだことがあったので、これは徹底して教えています。
その代わり、よく聞いたのが「Can you share~?」という表現でした。
それに対して、子供がNoといったら、それ以上はやんやん言いません。
私もそれで良いと思っています。
全員が全員そうじゃないですよ。
あくまで、一個人としてみた範囲でそういう人が多かったなって。
子供が遊んでいる横でビールを飲んでたり、
なんなら、ブルワリーとかが公園の近くにあって、
講演が終わったら子供はピザ、大人はビールを飲んでゆっくり過ごす
という時間も経験しました。
それって、子供も大人もハッピーだし、自由ですごく良いなと思いました。
そんないろんな経験があってか、
日本での同調圧力的なものには全く動じなくなりました。
いや、もともとそういうものへ反抗的な気持ちがあったんですけど、
それを自重することをやめました。
あなたはそう思うのかもしれないけど、私はこう思う。
ということは、はっきり示すことが大事だと思うんです。
お互いを尊重しあった議論や話し合いを大事にしたい。
子供にも、そういう姿を見せたいと思っています。
まだまだ書きたいことはあるのですが、
今後もまだ引っ越しが控えていたりするので、
時間ができた時に、また考えをまとめるために色々書いていきたいなと思います。
【今日の良かったこと】
・車を購入する目処がついた
・おいしい三色だんごを食べた
・託児付きの美容室で髪の毛を切った!半年ぶり!(次はカラーをしたい)
今日も楽しかった。
chiyoco